あわてた。 悔しい気持ちはいっぱいだが不思議と怒りはこみ上げてこなかった。
妻を食わせられなくなる恐怖と同時に彼女の親戚衆のプレッシャーの方が怒りより大きかったのだ。
すぐに 一昨日まで手伝いに行っていたペンキ屋の親方(加藤さん)に電話し、事の次第を話した。
親方は責任を感じ(本当は責任は無いのだが)その後もしばらくの間 仕事を手伝わせてくれた。
しかしそれも長くは続かず仕事の無い日々を迎えることになった。
この時どこかの店の職人や社員になろうという気持ちにはならなかった。
今を以っても不思議である。 ほんの一週間の一人親方経験が独立の道を歩ませていた。
1994年(平成6年)の11月だった。
次にとった行動はやはり昔に野帳場を渡っていた頃の親方衆に連絡を取ることだった。
とは言っても あと一人しか居なかった。
とりあえず電話をすると ちょうど忙しい最中で快く迎えてくれた。
現場は成増、滝山、横浜市旭区、両国、中野と場所はばらばらだった。
今でも忘れないのが成増の現場での事である。
そこは1フロアーが30所帯ほどある大型マンションの塗り替え工事現場であった。
私がすることになったのは玄関が続く廊下にある面格子の塗装だった。
同じ大きさ、形の格子が30ほど並んでいる。
それを他の二人(二人は同じ店の人)と一緒に組み、横に並んで塗っていくのだ。
そこで問題になるのはスピードの事だ。
3人で一個ずつ塗って横移動、すなわち遅いと順番がずれ あきらかにこいつは遅いと分かる。
必死であった。
一人親方になったプライドと同時に吹付け屋に居た1年半の間刷毛を持つことがほとんど無かった
あせりで顔は涼しく装ったが額には大汗をかいて作業をした。
二人のうち一人はかなり達者な人だったが私とこの人は同じペースで塗り進んだ。
お互いに“やるな!”と思ったかどうかは知らないが
私はこの後 名刺を差し出し名前を覚えてもらおうと思った。
すると相手からも名刺を差し出された。
山下さん、 聞けば15年ほど親方を張っているバリバリのペンキ屋だった。
どうりで上手いはずだ。
色々話をし情報交換(?)をした。
上記にある多数の現場は山下さんの口利きもあって仕事にありつけていた。
数日して加藤さんから電話をもらった。 新築住宅の外部吹き付け10棟口をやらないかと
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