1995年1月17日に起こった阪神淡路大震災は実家を襲っていた。

何とか母に電話が通じた私は翌日実家のある兵庫県西宮市に向かった。



実家は阪急神戸線の西宮北口駅そばである。

幸いにも電車はこの駅までの折り返し、その先はすべてが失われている状態だった。

駅を降りた私は自分の目を疑った。



言葉が出ない。 本当に声を失ったようだった。

見慣れたビルは斜めに、家々は崩れている。

映画のシーンでは見慣れていても目の当たりにすると人間は言葉を失う。


線路沿いから路地を入った所にある実家は外見はほとんど無事であった。

前年の秋に基礎の補強や瓦の葺き替えをしていたのが良かったのか?

但し家の中は中はたんすはひっくり返り柱はねじれていた。



付け加えると路地(3メートル×50メートル)の西側は比較的無事で東側の建物は全滅であった。

西宮断層のいたずらか?



電気の復旧は早かったが何よりも困ったのが水の確保である。

歯磨き、洗い物、トイレなど不自由だ。

何度も給水所まで汲みに行った。 



電車で15分の大阪梅田ではいつもと変わらない様子でものすごいギャップを感じた。

たった15分しか離れていないのに天国と地獄と言える。



数日間の滞在後東京へ戻った。



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